「看護の日」は、市民・有識者による「看護の日の制定を願う会」の運動を契機として、看護の心、ケアの心、助け合いの心をだれもが育むきっかけになるよう、旧厚生省により1990年に制定されました。5月12日を「看護の日」としているのは、近代看護の祖とされるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなんでのことです。1965年から、ジュネーブに本部を置く国際看護師協会は、この日を「国際看護師の日」に定めています。日本では5月12日を含む日曜日~土曜日を「看護週間」(今年は5月12日~18日)として、日本看護協会が中心となり全国でさまざまなイベントが行われます。
本校でも特別活動の一環として「ナイチンゲールの生誕を記念するとともに、看護を地域に伝える機会とする。」ことをねらいに掲げ活動をしています。今年度は4月30日(火曜)・5月1日(水曜)の2日間にわたり「看護の日」の活動を行いました。
4月30日(火曜)-1日目-は「看護の日特別講演」として、日本海総合病院救急科部長の緑川新一先生からご来校いただき、『DMAT活動について-災害医療、情報が命』と題してご講演いただきました。
例年、看護の日の1日目はアドバイザーグループを単位として1年生から3年生まで一緒になったグループワークを行い「看護ってなに?」を切り口とした意見を出し合い全体発表に繋げ、学びを共有します。今回、特別講演として例年と異なる企画を考えたのは、今年1月1日に発生した能登半島地震に拠ります。ここ酒田でも津波警報が発令され、沿岸部など浸水区域にある住民の多くが避難する事態となりました。被害状況や津波の到達時刻、満潮の影響など情報が更新されない中、非常に不安な思いで時間を過ごした住民の中には本校の学生や教職員も多くいました。避難を経験した学生や教職員から聞かれた声は「災害は決して他人ごとではなく、いつ自分や家族が“被災者”という立場になるかわからないんだ…。」ということでした。と同時に「災害時に求められる医療や看護とはどんなことなのだろう。被災者は何を求めているんだろう。」という疑問が切迫感をもって浮かんできました。
そこで、長年DMAT活動に携わり、能登半島地震の発生後は石川県七尾市に赴きDMAT活動の指揮命令の中枢となる本部で活躍された緑川先生から、災害の実相や医療職者の役割など、先生ご自身の体験に基づくご講演をいただくこととなりました。
講演では、緑川先生が災害現場で撮影されたスライドや動画を見せていただき、テレビや新聞などに載る情報からは、災害の実態のほんの一部分しか分らないことを実感しました。そして、DMATは救急医療だけ行っているのではなく、災害対応アセスメントにより「災害死」を減らすために活動していることをご説明いただく中で、傷病者の救命・救護はもちろん第一義的な役割ではあるのでしょうが、それと同等に「災害死」を減らすために重要なのが関係機関との連絡・調整や情報収集・提供であることを知ることができました。さらに、緑川先生は災害地に入ったらまず行うこととして3つあると仰られ、その中の1つが「固有名詞(地名)の読み方の確認をする」ということでした。「○○町」の読み方が「ちょう」なのか「まち」なのか、これを確認しないと目的とする場所に着けない、地元の人と意思疎通が図れない-ということをお聞きし「なるほどな。」と、ハッとさせられました。
講演終了後は、学生代表からお礼の言葉と謝意を示す花束を贈呈させていただきました。緑川先生からは「皆さんが支援する側になったら、ぜひ自分から情報をとりに行ってください。そして支援される側(被災者)になったら、皆さんから情報を発信してください。これが、私がDMAT活動をしてきて一番思っていることです。」との貴重なメッセージを頂戴しました。このメッセージが学生たちにとても印象深く刻まれたことは、講演終了後のアンケートから読み取ることができ、たいへん意義深い「看護の日」特別講演となりました。
2024年5月8日
副学校長 渡會睦美